Tの肖像 Tの肖像

Chapter 04 具現化された福祉理念 Embodied welfare philosophy.

建築家としての哲学を表現した場所

 都市計画及び福祉の先進国といえる北欧の国、フィンランド、スゥェーデンを訪問し、広い範囲での視察体験を得られたことで、私は建築家として解決すべき新しい問題意識を獲得することができたと思っている。特に、スゥェーデンのストックホルムは、感性の高い学生時期に留学で訪れることができ、その後、建築家として仕事をする上での指針になるべきものを与えてもらい、様々な影響を受けた都市でもある。
当然、この二か国と日本では、文化や経済など多くの面で違いがあり、北欧の哲学を現代の日本に当てはめるためには多くのハードルを越えねばならなかった。
“われわれは住宅群ではなく、現代人とその家族にとって社会的に健康な環境を建設することを欲している”

 この言葉は、1951年に6つの社会・労働組織によって設立されたアスントセーティヨと呼ばれる民間の非営利法人によってつくられた、フィンランドのニュータウンであるタピオラの根幹をなす思想である。タピオラの建設者たちが、このようにユニークな目標を掲げることを決めたその狙いは、全ての人のための都市、いろいろな社会層が互いに調和を保ちながら働き、そして住むことの出来るような都市をつくることであった。
私が介護福祉施設をつくるうえで大切にしたモットーは、「入居」する人間、個人個人が明確なものとして「生きがい」を持ち「生きる」ことである。さらに、その施設に関わるスタッフはもちろん、地域社会の人々も、施設空間の中で生活する人々と共生する喜びがあることを知ってもらうことにある。

そのためには、介護老人施設と保育所、託児所をひとつ屋根の下で併設することが、地域社会とのコミュニケーションをはかるうえでは欠かせないものとして考えた。このことだけでも、お年寄りに良い刺激があるだけでなく、子供たちも早くから他者とのふれあいや喜怒哀楽を、そして人は亡くなり去りゆく存在なのだということにも触れられる。核家族化によって消失した、以前は家庭の中に当然あった3世代コミュニティにも早くから触れることが出来るのである。労働が社会的存在としての人間の発達にとって欠くことのできないものであるとすれば、悲しみや喜びを分かち合う家族は人間の情緒的な発達にとって欠くことのできない存在である。

 タピオラの精神にある「社会的に健康な環境」でいえば、その根本にあるべきものは平等であろう。福祉国家における平等は、自由主義的な意味での「機会均等」の範囲にとどまらず、階級格差を縮小し「社会生活における実質的平等」の実現を意味する。平等の拡大はしたがって自由の拡大につながる。福祉国家における平等と自由は互いに補完しあうものである。自己決定に基づく選択、すなわち各個人がそれぞれの生活の仕方を自分の意志で自由に決めるための平等な権利をもつことは福祉国家の基本的価値基準である。
私は1990年に、オーストラリアのゴールドコースト郊外に大規模な福祉施設と高度医療ができる医療施設のプロジェクトに参加をしてきた。その時、この施設群を建設するにあたり、福祉施設とはどういう者か、医療施設とはどういうものなのかを明確なものとして考え、定義づけようと試みた。

 その中に「看取り」を考えなければならない時期があった。オーストラリアの国民性による「看取り」、ヨーロッパ諸国に於ける「看取り」、日本に於ける「看取り」など、いろいろと議論をしてきた。結論として、医療施設では「看取り」という行為は「ナース」という言語であり、福祉施設では「アテンダンス」という言語で定義づけしたことがある。私が勉強してきたスゥェーデンに於いても同じであった。
要するに、同じ看護でも、医療施設における看護(ナース)は、よりその患者に対して積極的に接し、治療をすることであり、福祉施設における看護(アテンダンス)は、立ち合う、協力する、助け合うということであり、その人間の生き方、人格、尊厳を遵守しながら看取っていくということで結論をみることになった。

 ターミナルケアを考えた介護に於いては「看取り」という言葉は「死」を意識させる言葉でもあるが、人間にとって冷静に客観的にこのことを考えると、自然界ではきわめて当たり前のことである。
それ故に福祉においては、その施設でのアテンダンスと、地域社会の共生が大切なものになり、その施設の中で療養する人間に対して、生きる希望を与えてもらい、人間はなぜ生きていかなければならないのかを理解してもらうことにあると考える。
このことに対して我々が果たす役割は、安らぎと楽しさと、心地よいほんの少しだけの「プレッシャーとストレス」を感じることが出来る日常の生活、地域社会との共生を包括する空間を、いかに導き出すかにあると思っている。